【歴史異聞】悪魔か人か仙人か、サンジェルマン伯爵【since1784】

サン・ジェルマン伯爵(サン・ジェルマンはくしゃく、Comte de Saint-Germain、1691年/1707年?- 1784年2月27日)は、18世紀のヨーロッパに中心に活動したと伝えられる人物である。実在の人物としてはこの時代にアヴァンチェリエと呼ばれて活躍した国際的山師で、都市伝説の人物としては数々のフィクションの逸話で有名。 

7月3日wikipwdia「サンジェルマン伯爵」引用


不死伝説に見え隠れするのは、真実か虚構か!?




古くは聖書の時代やアレキサンダーのバビロン入城までの体験談を語りました。
フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、ポルトガル語、ヘブライ語、中国語、ペルシア語、アラビア語、サンスクリット語とあらゆる言語が流暢に話せたという言い伝えが残っています。

1784年ドイツのヘッセン、2人の使用人の腕の中でひとりの男が生涯を一旦終えました。
独特の話術でパリ社交界の人々を煙に巻いた「サン・ジェルマン伯爵」その人です。
死因は、うつ病やリューマチだったとも言われています。

ここまではサン・ジェルマン伯爵という、博識で怪しげな男の生涯で済みます。
ところが、彼の死から5年後、1789年7月にバスティーユの牢獄が占領された後、マリー・アントアネットは、ある匿名の手紙を受け取りました。この手紙には、「最後の警告です。貴族たちをしずめて民衆の要求を受け入れ、ルイ16世が退位して去らなければなりません」と書いてありました。

さて、今日の【歴史異聞】は、このサン・ジェルマン伯爵は結局何者だったのかを考察したいと思います。パリ社交界に現われ、巧みな話術と手品で貴族の贔屓を得て1784年に亡くなったのが、「本物」のサン・ジェルマン伯爵です。その後は、彼の名前を騙るニセモノのペテン師だった説があります。結局のところ、アントワネットに宛てた手紙は匿名でした。彼が送ったという証拠はありません。

彼の不死伝説を助長しているのが、ナポレオンの治世に現れたとされる「チェイルリー宮殿の赤い男」です。
ある日、ナポレオンを訪れたこの男は「与えられた使命を、君は果たしていない」と言い放ちます。そして、「お願いだ。私から力を奪わないでくれ。」と懇願するナポレオンの声が部屋から聞こえたと言います。

普通に考えれば、サン・ジェルマン伯爵≠チェイルリー宮殿の赤い男です。
もしくは、その死さえも偽装したサン・ジェルマン伯爵本人だったのでしょう。
いずれにしろ、チェイルリー宮殿の赤い男は当時から有名な都市伝説でした。

サン・ジェルマン伯爵の博学な知識も表面上だけのものだったのかもしれません。ただ、話術と詐術が異様に巧みで、それを見たり聞いたりした人々が噂をし、尾ひれを付けたとも言えるでしょう。だからこそ、その名を騙り出す者も現れたのです。彼は今、日本にいるとか…。
「サン・ジェルマン伯爵」という名前自体が都市伝説化していますね。

ブログパーツ
関連記事
ブログランキングブログランキング・にほんブログ村へ
カテゴリー: 人生これ歴史。 | コメント: 0 | トラックバック: 1


この記事へのコメント

コメントの投稿

非公開コメント


トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめtyaiました【【歴史異聞】悪魔か人か仙人か、サンジェルマン伯爵【since1784】】

サン・ジェルマン伯爵(サン・ジェルマンはくしゃく、Comte de Saint-Germain、1691年/1707年?- 1784年2月27日)は、18世紀のヨーロッパに中心に活動したと伝えられる人物である。実在の人物とし

アクセスランキング