低迷続く「平清盛」“大河史上最低”の危機 NHK

1月に始まったNHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率低迷が続いている。開始早々、清盛ゆかりの兵庫県の井戸敏三知事が「画面が汚い」と批判したのがケチのつき始め。このままでは“大河史上最低”の危機も迫っており、NHKではてこ入れに躍起だが、外野からは「躍起なのは“犯人捜し”なのでは」と心配する声も聞こえてくる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120519-00000553-san-soci
平清盛(たいらのきよもり)・・・平安時代末期の武将。保元の乱、平治の乱に勝利し対立勢力を一掃して平家政権を樹立させる。元永元年~知承5年(1118年~1181年)

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・坂本龍馬が好きな日本人にとって平清盛はややダークヒーローなのだろうか。
まず馴染みがない時代背景である平安時代末期、これまでピックアップされることが少なかった清盛の少年時代などが視聴率の低迷に繋がっているのかもしれない。

平家一門の異常な繁栄ぶりは父忠盛の死後、日宋貿易で得た巨万の遺産を受け継いで始まる。
平氏の頂点に立ち、皇位をめぐる戦いで後白河法皇について大功を立て、源義朝を討って軍事力を増大させ、ついに仁安3年(1168年)従一位太政大臣となり位人臣を極めた。

一代で絶大な権勢を誇ったが、その後の平家の末路を見るとまさに盛者必衰の理をあらわすである。
「平家にあらずんば人にあらず」「驕る平家は久しからず」
ことわざなどから見ても良い印象を与えない。

さらに清盛の生涯最大のミス「源頼朝の助命」
平清盛は身内の言を聞き入れる寛容さはあったようで、継母池禅尼と嫡子重盛の助命嘆願を受け入れたようである。しかし、これが後々の平家一門の禍となる。

そして重ねる大きなミス、頼朝の流刑地。
清盛は蛭ヶ小島(ひるがこじま)を絶海の孤島だと思っていた・・・?

そんな清盛も1181年閏2月4日、地を転げ回って悶絶したあげく死んでしまう。
これは一説では急性肺炎であったと言われている。


◆平清盛を主人公に大河ドラマをすると、青年期からの大躍進期間だけで40数話作るのは無理があり、どうしても幼少期~少年期を入れざるを得ない。

◆さらに晩年は源頼朝、義経、弁慶といった主役級の登場人物が出てくる。その頃は既に平家が悪者扱い。

◆信長・龍馬・義経のような悲劇的要素がない最期。



もし、今年の大河ドラマが清盛を主人公にするのではなく、清盛の傍にいる誰かを視点とした新たな清盛像だったら良かったんじゃないかと思うことがある。かつての大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」がポルトガル人のイエズス会宣教師であるルイス・フロイスの視点だったように・・・
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1月に始まったNHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率低迷が続いている。開始早々、清盛ゆかりの兵庫県の井戸敏三知事が「画面が汚い」と批判したのがケチのつき始め。このままでは“...

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