【歴史異聞】聖女か魔女か人間か、ジャンヌ・ダルク【since1431】

ジャンヌ・ダルク(仏: Jeanne d'Arc、過去:Jehanne Darc[1]、英: Joan of Arc(ジョーン・オブ・アーク)、ユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(仏: la Pucelle d'Orléans/英: The Maid of Orléans)とも呼ばれるフランスの国民的英雄で、カトリック教会に於ける聖人。
百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。


6月3日wikipedia「ジャンヌ・ダルク」引用


伝説は史実か虚構か・・・


ユリウス暦1431年5月30日(グレゴリオ暦なら1431年6月11日)、日本は室町幕府6代将軍足利義教の治世でした。
その日、フランス北西部ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑が行われました。ジャンヌ・ダルクの最期です。

坂本龍馬と同じく、今でこそ有名な名前ですが死後数百年は知名度が低かったようです。
金髪・碧眼・長めの髪で体格のよい女性だったという説があります。
自ら剣を取って戦うことより、味方を鼓舞する旗持ちを好んでいました。

当時のフランスのロレーヌ地方には、「ひとりの少女がフランスを救う」という伝説(預言?)があったらしく、政治的に担ぎ上げられて、利用されただけの不運な少女なのかもしれません。

赤穂浪士で有名な大石良雄も、周りから担ぎ上げられたタイプでした。
しかし、ジャンヌの場合は少し違います。天の「声」を聞いたというのです。
これは「精神疾病」の「幻聴」「幻覚」の類とも考えられます。癇癪(てんかん)持ちだったと伝わっています。

そもそも、農民の娘である少女が一軍を率いるのは、常識的に考えると可笑しな話です。
屈強な将軍達が少女の戯言に心服していたとは到底思えず、政治的に何者かが「聖女伝説」を都合よく利用していた可能性も捨てきれません。聖女を筆頭に勝利を信じて疑わない兵士、当時のフランスは最も欲しかった「士気」や「勢い」を10代後半の少女ひとりを軍に迎えることで手に入れました。

「ジャンヌ・ダルク」がルーアンで火刑に処された5年後、兄弟の前に自らジャンヌだと名乗る女性が現れます。
兄弟は涙を流して抱擁し、故郷ドンレミでも本物のジャンヌと認めました。

シャルル7世と初めて会った時、ジャンヌは家臣の中に紛れた王太子を見分けます。
これは事前に何者かがシャルル7世の特徴を教えていただけに過ぎませんが、処刑から5年後に現れたジャンヌも同じ状況で王を見抜きました。
この時、都合が悪いことに名誉回復裁判が行われておらず「ニセモノ扱い」されてしまいます。
そして捕えられ、公衆の面前で「ニセモノをかたる悪人」だと認めさせられました。

面白いのは、その「ジャンヌ・ダルクをかたる人物」が、その後故郷で普通に兄弟と暮らしていることです。無論、村人もこの女性が「ジャンヌ・ダルク」だと認めています。1440年~1457年に忽然とその姿を消すまで…


『ジャンヌ・デ・ザルモアーズ』…1968年、なぜか教会はその墓の遺骨調査を許可しませんでした…

ジャンヌ
関連記事
ブログランキングブログランキング・にほんブログ村へ
カテゴリー: 人生これ歴史。 | コメント: 1 | トラックバック: 1


この記事へのコメント

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿

非公開コメント



アクセスランキング